ログイン学校で見せる超然とした姿はどこへやら、彼女はただの、恋の話題に揺れる年相応の少女のように身を悶えさせていた。ユカに顔を押し付けたまま、羞恥に震えるその可愛らしい仕草は、どんな宝石よりも、そしてどんな女神の微笑みよりも、ユウの鼓動を狂わせるには十分すぎた。
閉ざされた扉と、静かなる宣誓
これ以上この場に留まれば、高鳴る鼓動が外まで漏れ聞こえてしまうのではないか。ユウは沸騰しそうなほどの羞恥心に突き動かされ、逃げるようにリビングの出口へと足を向けた。
「それじゃ……俺は、部屋に戻るな」
震える声をどうにか抑え、背中越しに言葉を投げる。
「はーい。また、フィーちゃんを誘うから楽しみにしててねっ♪」
ユカの弾んだ声が背中に突き刺さる。その隣で、未だに妹の肩に顔を埋めたままのソフィアが、消え入りそうな声で言葉を紡いだ。
「……うぅぅ……ぅぅ……また明日、学校で……」
その掠れた響きは、放課後の教室で交わされる挨拶よりもずっと親密で、熱を帯びているように聞こえた。ユウは生返事さえ満足に返せず、足早に廊下へと滑り込んだ。
背後でリビングのドアが閉まる音が響く。直後、微かに漏れ聞こえてきたのは、確信に満ちた妹の囁きだった。
「わたし、フィーちゃんを応援するからねっ♪」
廊下を歩くユウの耳に、その言葉ははっきりと届いた。応援。その言葉が指し示す意味を考え、ユウの足が止まる。ユカは一体、何を応援しようとしているのか。学園の女神と、ただの兄であるユウとの仲を取り持とうというのか。
(……まさか。そんなことが、あるはずないだろ……もし、そうだとしても妹が応援をしたところで……)
自惚れを否定するように頭を振る。だが、もしその「応援」がユウとの関係を指しているのだとしたら。そして、それに対する彼女の答えがもし――。
ユウがリビングを去ったその瞬間、ソフィアが羞恥に頬を染めたまま、小さく、けれど決然と頷いたことを、ユウは知る由もなかった。
扉一枚を隔てた向こう側で、彼女がどんな表情で、どんな想いを肯定したのか。その真実を知ることが、今のユウにはたまらなく怖かった。
ソフィアが帰宅し、嵐のような賑やかさが去った後の夕食は、どこか味気なさを孕んでいた。ユウは早々に食事を終えると、火照った思考を鎮めるように自室の掃き出し窓を開け、ベランダへと足を踏み出した。
わが家は、周囲の住宅と比べてもそれなりの広さを誇る豪邸だ。広々としたベランダには雨除けの屋根が設えられ、屋外用のテーブルやソファまで完備されている。会社を経営し、世界中を飛び回る両親は、月のほとんどを不在にしていた。幼い頃からこの静かな大邸宅に兄妹二人きり。ユカが過剰なほどにユウに懐き、甘えてくるのは、互いが唯一の絶対的な味方だったからなのだろう。
冷ややかな夜風を頬に受けながら、ユウは屋外用ソファに深く腰を下ろした。夜の静寂が心地よく、ぼんやりと街灯の光を眺めて寛いでいると、不意に、暗闇の向こうから透き通った声がユウの名を呼んだ。
「……あれ? 夜月くん……?」
驚いて視線を上げると、そこには信じられない光景があった。わが家の裏手に建つ高級マンション。その二階のベランダに、先ほどまでリビングにいたはずのソフィアが、部屋着姿で佇んでいたのだ。
ユウの部屋のベランダと、彼女の部屋のベランダ。それは、声を張らなくても会話が届くほど近く、もしカーテンを閉め忘れてしまえば、互いの私生活が丸見えになってしまうような、危ういほどの距離だった。
「ん!? 星野さん……!? 星野さんの家って……そこだったんだ」
ユウは思わずソファーから立ち上がり、手摺りへと歩み寄った。月明かりに照らされた彼女は、昼間の制服姿よりもどこか柔らかく、幻想的な雰囲気を纏っている。近所に住んでいるとは聞いていたが、まさか目と鼻の先に彼女の日常があったなんて。
夜の静寂の中、近すぎる距離で向き合う二人。予期せぬ再会に、ユウの心臓は再び、昼間以上の騒がしさで脈打ち始めていた。
月明かりの境界線と、閉ざされたカーテン
夜の静寂が、二人の間に流れる空気をいっそう濃密にしていた。月光に照らされた彼女の肌は陶器のように白く、驚きに揺れる青い瞳が、夜の闇の中で宝石のように妖しく瞬いている。
「きゃ、先ほどは……お邪魔しました。す、すみません。おやすみなさい……」
ソフィアは、まるで自分の心臓の音を隠すように両手で胸元を押さえ、弾かれたように声を上げた。先ほどリビングで見せたあの「うぅぅ……」という唸り声が、夜の静寂に再び甘く溶け出す。彼女の頬は、遠目からでもはっきりとわかるほど鮮やかな朱に染まり、その熱は冷たい夜風さえも微かに震わせているようだった。
一方的に謝罪の言葉を投げかけると、彼女は縋るように窓の取っ手に手をかけた。逃げ込むようにして自室へと戻り、すぐさま厚手のカーテンが勢いよく引かれる。シャーッ、という乾いた金属音と共に、彼女の姿は遮断され、そこには無機質な布地の壁だけが残された。
ソフィアは、ユウが自分を「一人の女子」として意識していることに薄々気づきながらも、それを嫌がるどころか、誇らしげに胸をときめかせていた。自分だけに見せる彼女の素顔。真夜中の静寂が、二人の距離をじりじりと、けれど確実にかき消していく。湿った髪と、思わず零れた本音の行方「えっと……こういう姿は、前回見ていましたよね……寝顔も見られてしまいましたし……」 ソフィアは膝を抱えるようにして、わずかに視線を伏せた。言い終えると、彼女はおずおずと顔を上げ、潤んだ瞳でじっとユウを見つめてきた。湯上がりで微かに湿り気を帯びた金髪が、さらりと頬に張り付いている。学校での「女神」の神々しさとは違う、石鹸の香りを纏った一人の少女としての生々しい美しさ。そんな姿をこんな至近距離で、それも深夜の密室で眺めているのだ。意識するなという方が、土台無理な話だった。「あの時は、そんなことを考えている余裕もなかったしな」 ユウは照れ隠しに、ぶっきらぼうに言葉を返した。実際、あの夜は熱を出して苦しむ彼女を助けることで頭がいっぱいだった。だが、今の言葉は裏を返せば「今は余裕があって、そんなことを考えている」と言っているようなもので。「そんなこと……ですか? ……いえ、なんでも……ない……です。夜月くんの……えっち。エッチです……うぅぅ……ぅぅ……」 ソフィアはユウの言葉の裏側に気づいたのか、耳の先まで一気に朱に染め上げた。彼女は慌てて近くにあったクッションを引き寄せると、逃げ込むように顔を埋め、小さくなって唸り声を漏らした。クッションに遮られてこもったその声は、甘く、どこか楽しげで、それでいてひどく恥ずかしそうで。(……反則だろ、それ) 普段の彼女からは想像もつかない、あまりにも子供っぽくて愛らしい仕草。クッションから覗く彼女の耳が、羞恥でぴくぴくと震えている。ユウは、どうにかして理性を繋ぎ止めようと、温かくなった紅茶を喉に流し込んだ。だが、静まり返った部屋の中で、クッションに顔を埋めたままの彼女が発する、柔らかで、けれど熱烈な「女の子」の気配を無視することなんて、到底できそうになかった。真夜中の名残惜しさと、深まる夜の余韻「だ、だよな……ご、ごめんな。つい、誘われたのが嬉しくて……夜中に一人暮らしの女の子の家に上がり込んじゃったけど……断るべきだったわ」 ユウは慌てて立ち上がる
彼女は一歩、玄関の土間へ踏み出し、彼を真っ直ぐに見据えた。「信用をしていますし、何かしましたら……ユカちゃんへ言いますから。どうぞ、ご遠慮なくお入りください」 ソフィアは、自分自身の内側から溢れ出す積極性に、驚きを禁じ得なかった。これまでの人生、誰も自分の聖域であるこの部屋に招き入れたことはなかった。親しい友人さえも踏み込ませなかったその境界線を、彼女は今、自らの手で取り払おうとしている。(わたし……どうしてしまったのかしら……) ユカの名を出して冗談めかしてはいるが、その瞳には真剣な熱が宿っていた。信用しているから。自分を助けてくれた、この不器用で優しい「騎士」にならば、すべてを委ねてもいい。無意識のうちに芽生えたその想いが、彼女をかつてないほど大胆にさせていた。 夜風が廊下を吹き抜け、薄いパジャマの生地を揺らす。差し出された招待に、ユウは困ったように眉を下げ、彼女のあまりにも純粋な信頼を前に、立ち尽くしていた。聖域の開放と、無防備な信頼「はあ。それでも、警戒はしておけよな……あまりにも無防備すぎて心配になるぞ」 ユウは観念したように大きな溜息を吐き出した。その表情には、彼女の身を案じる守護者のような危うさと、どうしようもない困惑が入り混じっている。「はい、もちろんです。ユウさん以外を誘うことは無いですし。ドアを開けることなどありませんので、ご安心をしてください。インターフォン越しにお断りをしていますし」 ソフィアは当然のことのように、けれど少しだけ誇らしげに胸を張った。その言葉に、ユウは心臓が跳ね上がるのを感じた。 そうだ。彼女は学校でも、そしてこのマンションでも、誰も寄せ付けない「氷の女神」だったはずだ。隙を見せるどころか、他人が自分に触れることさえ許さなかった少女が、今、目の前でパジャマ姿のまま、自分一人だけを招き入れようとしている。(目の前の美少女は別人なのか……無防備すぎだろ。反則だっての……ここまで言われて断るのも悪いよな。勇気を出して言ってくれてるのかもしれないし……) ユウは、彼女の背後に広がる暗い部屋を見つめ、自身の理性と戦っていた。女子の部屋。それも、あのお堅いソフィアの私室だ。けれど、彼女の瞳は潤み、期待と、そして自分を拒絶しないでほしいという微かな震えを湛えている。その「勇気」を無碍にすることは、今の彼にはでき
一人暮らしの部屋を襲う、不意の来訪者。ドクドクと耳の奥で早鐘を打つ心臓の音が、恐怖を煽り立てる。インターフォンのモニターへ手を伸ばそうとするが、指先は氷のように冷たく、震えて動かない。恐怖に押し潰されそうになった時、無意識に唇から零れたのは、今の彼女が最も信頼を寄せる人物の名だった。「……どうしよう。ユウくん……たすけて……」 その直後、手元でスマートフォンが震え、再び青白い光を放った。 ピロン♪ 震える手で画面を覗き込む。そこには、数分間の沈黙の答えが、彼らしいぶっきらぼうな優しさとともに綴られていた。『おーい。買ってこいと催促しておいて、居留守か? それ、ひどくね。まあ、ちょうどコンビニに用事があって……ユカにも買い物を頼まれてたから、ついでに買ってきてやったぞ』「……えっ?」 メッセージの内容を理解した瞬間、恐怖は霧散し、代わりに熱烈な喜びと驚きが胸いっぱいに広がった。返信が途切れたのは呆れられたからではなく、彼女の零した「困りごと」を解決するために、彼が即座に夜の街へと駆け出してくれたからだったのだ。 ソフィアは弾かれたように立ち上がると、パジャマの乱れを直す間も惜しんで、玄関へと走り出した。ただの冗談のつもりだった。それなのに、彼は本気で受け止め、こうして自分のために行動してくれた。 鍵を開け、重い扉を勢いよく開け放つ。そこには、少し息を切らし、片手にコンビニのレジ袋を提げたユウが、街灯の光を背負って立っていた。「……夜月、くん……」 冷たい夜風と共に、彼の温かな気配が流れ込んでくる。ソフィアは、安堵と、言葉にできないほど大きな幸福感に瞳を潤ませながら、扉の前に立つ自分の「騎士」を、蕩けるような甘い眼差しで見つめ返した。月光下のパジャマと、不器用な献身「えっと……その、冗談と言いますか、まさか本当に買ってきてくださるなんて思っていなくて……ビックリしちゃいました」 ソフィアは開いたドアの隙間から、困惑と喜びが混ざり合った声を漏らした。まさか、メッセージを送ってからわずか数十分の間に、彼が自分のために夜道を走ってくれるなんて想像もしていなかったのだ。「いや、それはいいからさ、牛乳を受け取ってくれよ。ついでに、卵も買ってきたぞ」 ユウは少し照れくさそうに視線を泳がせながら、手に提げたレジ袋を差し出した。 ソフィアは、その瞬
『ご心配ありがとうございます。大丈夫ですよ、ちゃんと生きていますから』 何度も打ち直しては消し、ようやく決めたのは、驚くほど素っ気ない、けれど精一杯の「強がり」を込めた短い返信だった。送信ボタンを押した瞬間、再び訪れる静寂。ソフィアはスマートフォンを胸に抱き寄せ、天井を見上げた。心臓の鼓動が、指先にまで響いている。たった数行のやり取りが、これほどまでに世界を輝かせて見せるなんて。彼女は暗い部屋の中、月明かりよりも柔らかな微笑みを浮かべながら、彼からの次の通知を、今か今かと待ちわびていた。夜の軽口と、甘やかな独占欲 すぐに届いた返信は、どこまでも過保護で、けれど逃げ場のなさを感じさせるほど真っ直ぐなものだった。『そうか、お前は強がりそうだけど。遠慮するなよ。すでに、お前の弱っている姿を見ているしな。困ってることがあれば何でも言ってくれ』 その文字を目にした瞬間、ソフィアは「弱っている姿」という言葉に、あの看病の夜を思い出して顔を真っ赤にした。けれど、それ以上に胸を占めたのは、これまでに味わったことのないような全能感に似た充足感だった。(……独り占め、ですね) 学校で誰にでも平等に接し、誰にも深入りさせない彼が、今はこうして自分だけのために言葉を紡ぎ、自分だけを心配してくれている。この電子の繋がりの中だけは、誰も邪魔者の入らない、二人のためだけの秘められた時間。 どう返せば、この楽しい時間が少しでも長く続くだろうか。指先を画面の上で遊ばせながら悩み、その贅沢な悩みさえも愛おしく感じる。 困っていること、と言われて、彼女はふと台所の様子を思い浮かべた。冷蔵庫の中、明日の朝には空になりそうな紙パックの姿。(……困っていること、そういえば……牛乳が無くなっちゃいますね……冗談で言ってみよう……かなぁ……) 普段の彼女なら、そんな些細な日常の欠乏を他人に零すなど、プライドが許さなかっただろう。けれど、今の彼女は少しだけ浮かれていた。彼に甘えるための、小さな「きっかけ」を求めていた。『……うるさいです。大丈夫ですよ、もおっ! ですが、ご心配ありがとうございます。ふふっ、では……今はですね、牛乳がなくなってしまって、困っているのですが……』 送信ボタンを押してから、彼女はベッドの上で身悶えるようにクッションに顔を埋めた。こんな冗談を言える相手がいることが
夜の帳が下り、四月の夜風が容赦なく体温を奪っていく。普段の彼女であれば、無意味な期待を抱くことも、誰かを当てもなく待ち続けることもしなかったはずだ。効率を重んじ、孤独であることを強さと履き違えていた「氷の女神」にとって、今の自分の姿はあまりにも滑稽で、あまりにも無防備だった。 数分、数十分。冷えた指先をパジャマの袖で隠しながら、彼女はカーテンが揺れるのを、彼がベランダに顔を出すのを、じっと待ち続けていた。だが、窓の向こうで人影が動く気配はあるものの、彼が外へ出てくる様子はない。 ふと、我に返ったように彼女の肩が小さく震えた。寒さのせいではない。自分でも説明のつかない行動に、激しい戸惑いを覚えたのだ。(わたし……何をしているんだろ……。寒空の下で、こんな……まるで待ちぼうけを食らっている子供みたいに……) 自分の中に芽生えたこの熱が、恋という名の色を帯びていることに、彼女はまだ気づくことができない。ただ、彼に会いたいと願う本能が、理屈を追い越してしまったことへの気恥ずかしさが込み上げてくる。 期待が裏切られたような寂しさと、自分自身への苛立ち。それらを吐き出すように、彼女は冷たい手すりに身を預け、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。「ユウくんの……ばかっ」 その言葉は、凍てつく夜風にさらわれて、誰に届くこともなく消えていった。けれど、口にした唇に残る微かな熱は、彼女の心がもう後戻りできない場所まで来ていることを、残酷なほど明確に物語っていた。深夜の通知と、高鳴る秒針「こんなにも……会いたいと思っているのに……一目でも良いのですけれど……」 冷たい夜風の中で漏らした独り言は、驚くほど素直で、切実な熱を帯びていた。ソフィアは、自分の指先が微かに震えている理由が寒さだけではないことに気づき、火照る頬を両手で包み込んだ。一目見るだけで、ほんの少し言葉を交わすだけで、この胸の痛みは消えるのだろうか。それとも、もっと深く、強く、彼を求めてしまうのだろうか。 彼女は自身の中に芽生えた不可思議な感情に戸惑いながらも、ふわりと恥ずかしそうに微笑むと、逃げるように自室へと戻っていった。 静かな夜が更けていく。手早く夕食を済ませ、机に向かって教科書を開くものの、文字が滑って全く頭に入ってこない。ペンを動かす手も止まり、どうしても視線は机の隅に置いたスマートフォ
けれど、頭で分かっていることと、心が感じることは別だった。自分の目の前で、他の誰かが――たとえそれが実の妹であっても――当たり前のように彼に触れ、その温もりを独占している。その事実を突きつけられた瞬間、ソフィアの胸の奥が、冷たい氷を押し当てられたようにぎゅぅっと締め付けられた。(……あ、れ。わたし、どうしたのかしら……) 視界が少しだけ揺らぎ、胸の奥からどろりとした、得体の知れないモヤモヤとした感情が溢れ出してくる。それは今まで生きてきて一度も経験したことのない、醜くも切ない、独占欲という名の暗い情動だった。ユカの純粋な笑顔が眩しければ眩しいほど、ソフィアの心には濃い影が落ちていく。彼女は膝の上で細い指を強く絡ませ、自分が抱いた初めての「嫉妬」に戸惑いながら、必死に平静を装うことしかできなかった。氷の微笑が溶ける時、知らぬ熱の痛み ソフィアは、自身の胸の奥で渦巻く感情の正体が分からず、ただ困惑に震えていた。これが世に言う「ヤキモチ」という感情であることに、彼女はまだ気づいていない。 今までの人生、彼女は自分が傷つかないように、誰とも深く関わらないよう透明な壁を築いて生きてきた。敵を作らず、けれど親しい友人も作らず、すべての人間に平等という名の無関心を振りまく。特に男子などは、その最たるものだった。下心を隠そうともせず、容姿の美しさだけに群がり、誰にでも愛を囁くような人種。彼女にとってそれは、平穏を乱すだけの厄介な存在でしかなかった。誰か一人にだけ特別に優しくすれば、必ず周囲の反感を買い、陰湿な嫌がらせが始まる。そんな人間の醜い本性を熟知していたからこそ、彼女は誰にも心を許さず、孤独な「女神」という椅子に座り続けてきた。 人間関係は浅く広く。深い付き合いを避けることで、誰かに興味を持つことも、誰かに心を乱されることもなかった。 だが、目の前の光景はどうだろう。親友であるユカが、兄であるユウに無邪気に抱きついている。その光景が網膜に焼き付くたびに、胸の奥が、心が、針で刺されたようにチクチクと痛み、言いようのない重苦しいモヤモヤとした感情が溢れ出してくる。(どうして……こんなに苦しいの。ユカちゃんは、お兄ちゃんが大好きなだけなのに……) 自分を落ち着かせようと努めるが、溢れ出した負の感情はどうすれば良いのか分からず、彼女の内で暴れ回る。表面上の軽い会